新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-04-13
名 称
曹洞宗 真徳山天林寺
所在地
浜松市中区下池川町27-1
開 創
文安2年(1445)
開 山
傑堂義俊(けつどうぎしゅん)禅師
縁 起
普済寺を開創した葦蔵義曇禅師の法嗣・傑堂義俊禅師が、文安2年(1445) 22歳の時、引間城の麓(現天林寺より南)に亀鶴山万蔵院を開いたのが、天林寺の始まり。
その後、亀鶴山大安寺と改め、さらに堂宇が整うと亀鶴山天徳院とし、永世8年(1511) 3世長圓が現在地に移転した。しかし、元亀3年(1572)の三方原合戦では、曳馬城が近いため大きな損害を被り、一時は井伊谷に避難した。
4世宋寅大和尚が、天正13年(1585) 山号と寺号を真徳山天林寺と改め、現在に至る
天林寺は普済寺を本寺と仰ぎ、他の法嗣である13寺の住職とともに「輪住制」により、普済寺の住職を順番に兼ねることが、明治5年に廃止されるまで続いたという。
補 足
天林寺は、犀ヶ崖と浜松八幡宮との中間に位置する。浜松八幡宮の縁起に、「三方原合戦に敗れた家康は、天林寺に入り、義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み……」とある。しかし、義俊禅師の生存期間(応永31年・1424~延徳元年・1489)と三方原合戦(1572)の時期がずれているため、義俊禅師が家康を浜松八幡宮に案内することはなかった筈なので、別の禅師が案内したのか?
参考Webサイト
天林寺サイト