新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
起源・沿革
撮影:2018-04-13
名 称
曹洞宗 広沢山普済寺
所在地
静岡県浜松市中区広沢1-2-1
開 山
寒巌義尹(かんがんぎいん)
開 創
15世紀の初め
本 尊
釈迦牟尼仏
案内板 (浜松市案内板)
普済寺
山号広沢山(こうたくさん)、曹洞宗、15世紀初め 寒巌義尹(かんがんぎいん)が開山、その後 肥後国(熊本県)大慈院からきた華蔵義曇(けぞうぎどん)が寒巌禅師の遺志を継ぎ、東海の禅堂としてこの地に普済寺を建立した。教派は13派(460ヵ寺)を数え、華蔵和尚によって浜松地方に禅宗が広められた。本尊釈迦牟尼佛。
由緒ある寺として徳川氏の保護を受け、家康も客殿を寄進している。寺域も広く、広沢の名にふさわしく水の澄んだ池があり、月の名所としても知られたが、今は雲夢橋が残るのみである。
戦災のため焼失し、昭和39年再建された。山内に北山稲荷を祀る。
浜松市
補 足
三方原合戦で武田信玄に負けた徳川家康は、浜松城が燃えていると見せかけるために普済寺を炎上させたという。
豊川稲荷は普済寺の末寺との話がある。豊川稲荷Webサイトでは寒巌義尹禅師略伝の中で寒巌義尹禅師を抜きに妙嚴寺(豊川稲荷)の歴史を語ることができないと記しているものの、普済寺には全く触れていない。一方、普済寺を本寺と仰ぐ天林寺(浜松市中区下池川町)は、そのWebサイトで、妙巌寺(豊川市)は「寒巌派・普済寺13門派」と記している。ただ、豊川稲荷の「妙嚴寺」に対し、天林寺は「妙巌寺」としており、1文字違いがあるのは、文字変換ミスと思われる。
参考Webサイト
普済寺 浜松情報Bookサイト
遠州浜松を見る!25普済寺 綾部の文化財日誌サイト
豊川稲荷の歴史 豊川稲荷(圓福山妙嚴寺)