新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3119-1
案内板 (太田市教育委員会案内板)
東照宮
元和2年(1616) 徳川家康は駿府(静岡市)で75年の生涯を閉じた。遺命により、遺体は一旦駿府郊外の久能山に葬られ、翌年下野国日光に改葬された。それより20年の後、社殿は3代家光によって全面的に改築され、今日の東照宮が完成した。当時日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、旧社殿の一部を長楽寺元境内に移築して東照宮を勧請した。当地が徳川氏発祥の地であり、当寺が徳川義季開基とする寺だからである。
幕府は、長楽寺を その別当寺として、その管理や祭祀に当らせ、200石の社領を与え、その社殿の修理や祭祀の費用は幕府の財政よって賄われることになった。
桁行5間・梁間3間の拝殿は、日光奥社の拝殿を移したものである。家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移され、本地堂(俗に塔の薬師)として、明治初年までその豪華な姿をとどめていた。
東照宮の鎮座により地元世良田の住民はもとより、近隣十数か村の住民は、東照宮の火の番を奉仕することによって道中の助郷を免除されたり、幕府によって開削された神領用水の利用を許されたり、種々の恩典に浴することができた。
東照宮の文化財
国指定重要文化財
建造物 本殿・唐門・拝殿・附鉄燈籠・棟札
昭和62年3月
太田市教育委員会
参考Webサイトほか
世良田東照宮公式サイト
徳川家康ゆかり-概説 本サイト内ページ
「徳川氏発祥の地 世良田東照宮」世良田東照宮刊
御黒門(縁結び門)
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3119-1
案内板
御黒門(縁結び門)
東照宮創建時、幕府により建てられた門で、左右には80メートルの白壁の塀がありました。
江戸時代は平常閉ざされ、門前での参拝。正月・4月の祭典日などは特別に開かれ、拝殿下の階段前までの参拝が許されました。
この門の蹴放し(溝のない敷居)をまたいで参拝すると、良縁が成就すると云われ、縁結び門とも言われています。
石燈籠
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3119-1
唐門前石燈籠1対
正保2年(1645)忍藩5万石老中阿部忠秋
拝殿前石燈籠各1対
宝暦13年(1763)前橋藩15万石 松平朝矩
寛政8年(1796)川越藩15万石 松平直恒
天保15年(1844)忍藩10万石 松平忠国
鉄燈籠
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3119-1
案内板
鉄燈籠竿陽刻銘
奉納燈籠東照大権現御寳前
元和二戊二午歳七月吉日 <注>元和4喬朝が奉納した年(1618)
秋元越中守藤原長朝
大工 中林仲次
明暦4年(1658) 長朝の曾孫喬朝が奉納したものである
東照宮社務所
補足
制作時と奉納時が40数年離れている理由は、世良田東照宮刊「徳川氏発祥の地 世良田東照宮」によれば、次のとおり
長朝が日光東照宮創建時に奉納しようとしたが、諸大名が奉納する石燈籠より大きく、鉄燈籠、小藩ゆえに奉納叶わず、領地の深谷に東照宮を造立、鉄燈籠を据えた。世良田東照宮建立後、長朝の遺志を継いだ遺族・喬朝が奉納した。
拝殿
撮影:2018-03-12
日光東照宮奥宮の当初拝殿を、寛永19年(1642)に移築
桁行5間、梁間3間、入母屋造平入り
屋根は、当初檜皮葺、寛政8年(1796)修理時に銅瓦葺となり現在に至る
正面向拝下の蟇股に、松に鷹の彩色彫刻
昭和31年(1956)6月 重要文化財指定
唐門と透塀
撮影:2018-03-12
日光東照宮奥宮の当初拝殿移築時に拝殿と共に、寛永19年(1642)に移築
間口1間2尺、4脚平唐門
屋根は、当初檜皮葺、寛政8年(1796)修理時に銅瓦葺となり現在に至る
唐門に付随して透塀が本殿を囲んでいる
昭和31年(1956)6月 重要文化財指定
本殿
撮影:2018-03-12
3代将軍家光公の命による日光東照宮の改築を担った名工らによって造営された
1間社流造
屋根は、安永6年(1777)の大修理時に銅瓦葺となり現在に至る
正面扉上部頭貫につがい親鷹の彫物、親鷹の中間にある蟇股上に3羽のひな鷹の彫物がある
昭和31年(1956)6月 重要文化財指定
宝物館ほか
撮影:2018-03-12
末社(境内社)
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3119-1
案内板
日枝社
御祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
寛永21年(1644) 世良田東照宮建立の時、日光山より奉遷。間口2尺5寸、屋根は栩(とち)葺
江戸時代は幕府により十数回の修理が行われた。昭和2年、修理。平成25年、東照宮三ツ葉葵会により修理。江戸期の祭典日は毎年4月の「申」の日
開運稲荷社
創建当初の「稲荷社」は、当地に古くから祀られていた神様で、開運招福・終売繁昌・五穀豊穣に特にあらたかなご利益ある神様であります。東照宮の修理の際は、この稲荷社も幕府により手厚い保護が成されました。
明治25年(1892) 同世良田山内に鎮座していた世良田五社稲荷の一社と伝わる「開運稲荷社」と合祀。
明治40年(1907)「開運稲荷社」は、小社合祀奨励により、旧世良田村小角田の「稲荷神社」、旧世良田村上矢島の勝手神社末社「稲荷社」、旧木崎町高尾の久呂住神社末社「稲荷社」と共に東照宮へ合祀。
平成8年(1996) 現地に社殿が新築成り、遷座祭が斎行。御宮に合祀されていた全ての稲荷社が御鎮座され、現在の「開運稲荷社」となる。
例大祭 3月初午日(旧暦)
参考Webサイトほか
世良田東照宮公式サイト
「徳川氏発祥の地 世良田東照宮」世良田東照宮刊
現長楽寺勅使門
撮影:2018-03-12
所在地
群馬県太田市世良田町3116-3
現長楽寺勅使門は、明治初期の神仏分離令が出る前までは、世良田東照宮の勅使門であった。
勅使または幕府の上使が参向する時にだけ使うので「開かずの門」または丹塗ゆえに「赤門」と呼ばれている。
参考Webサイトほか
長楽寺勅使門 本サイト別ページ
「徳川氏発祥の地 世良田東照宮」世良田東照宮刊