新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
縁起・沿革
日光東照宮は、元和3年(1617) 徳川初代将軍徳川家康公をご祭神としてお祀りするために、創建された神社である。
家康公は、天文11年(1542)12月26日 三河国岡崎城で誕生後、幼少より今川・織田の人質になるなど苦労を重ねた末、戦国乱世を平定の上、幕藩体制を確立し、250年余にわたる平和な時代の礎を築いた。
家康公は、元和2年(1616)4月17日、駿府城(現 静岡県静岡市)で75歳の生涯を終え、遺言により、直ちに久能山に神葬され、1年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移され、正遷宮が同年4月17日、2代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、東照社として鎮座した。後に、正保2年(1645)宮号を賜り、東照社から東照宮と呼称が変わった。
現在の社殿群の主なものは、3代将軍家光公によって、寛永13年(1636)に 造替されたもの。
参考Webサイトなど
「日光の社寺」の概要 日光市役所サイト
日光東照宮公式サイト
徳川家康ゆかり-概説 本サイト内ページ
「日光東照宮」日光東照宮刊
石鳥居 (重要文化財)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
石鳥居は重要文化財
元和4年(1618) 黒田筑前守長政の寄進によるもの
高さ9m余、柱廻り3.6m
「東照大権現」の額は後水尾天皇の宸筆という
五重塔
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
五重塔は、石鳥居を入ると直ぐ左手にある。
慶安3年(1650)に 若狭小浜藩主の酒井忠勝が献納したものであったが、文化12年(1815)10月に焼失した。
このため、文政元年(1818) 小浜藩主酒井忠進が再建したものが、現存する五重塔である。5.3メートル四方、高さ35メートル余、5層塔婆、銅瓦葺、全漆塗
表門 (仁王門・総門)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
重要文化財 表門(総門・仁王門)
日光東照宮の第1番目に当たるので、総門または仁王門とも呼ばれる。
3間1戸の8脚門で、切妻造、間口8.3m、奥行4.3m
左右の仁王像は、大仏帥法眼康音作
参考Webサイト
日光東照宮公式サイト
三猿と神厩
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
案内板
重要文化財 神厩(しんきゅう)
東照宮境内唯一の素木造 室町時代武家邸宅の厩舎式によったものと、言われています。
御鎮座の際、慶長5年関ヶ原の陣に於ける御祭神家康公の御乗馬が神馬とされ、その後は幕府から奉献されました。明治以降は、大正天皇、北白川宮等の御乗馬が寄進されました。
現在の神馬「光徳号」は平成17年10月16日にニュージーランド国ヘレン・クラーク首相より、「福勇号」は平成23年6月14日に日本中央競馬会土井健之理事長より夫々献進されました。
尚、建物の欄間に飾られた8個の神猿彫刻は、猿が馬の健康安全を守るという信仰に基づいたもので、中でも「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は昔から有名です。
三神庫
撮影:2015-12-24
案内板
外部は、校倉造(あぜくらづくり)を模したものであり、内部には、百物揃千人行列と呼ばれる壮大な渡御祭奉仕者の装束
1,200人分が収められている。
御水舎
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
重要文化財
元和4年(1618) 九州 佐賀藩主鍋島勝茂が奉納したもので、花崗岩の水盤を置き、水を使うことを配慮して、4隅に白色の石柱を用い、唐破風、豪華な彫刻が施されてた建物
間口3メートル、奥行4.5メートル、軒高4メートル
輪蔵
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
輪蔵は、重要文化財で、御水舎の右にある。
寛永13年(1636)建立
方形造(横幅と奥行は共に3間・約6m)、銅瓦葺
輪蔵は、大蔵経を収める経蔵のうち、回転式書架を備えた経蔵をいう
本地堂 (重要文化財)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
陽明門の手前、左手奥に、鳴龍で名高く、また境内で最大の建物という本地堂がある。
往時、本地堂の天井には、狩野永真安信筆の15メートルにおよぶ雄渾な蟠龍の絵が描かれており、龍の頭部の下で手を拍つと、反響があったので、鳴龍と呼ばれた。
しかし、昭和36年(1962)に焼損したので、昭和43年に復元した。現在の龍の絵は堅山南風画伯の揮毫によるもの。
回転灯籠 (重要文化財)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
回転灯籠は重要文化財で、陽明門の左手前、鼓堂の左にある。
寛永20年(1943) オランダ東インド会社から奉納された8角形の回転灯籠で、三つ葉葵の紋が逆さになっている。オランダのアムステルダムで製造し、海路運ばれたものという。
なお、釣灯籠と蓮灯籠も、回転燈籠より前にオランダから贈られたという。
唐門 (国宝)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
唐門(からもん)は、陽明門を入ると正面にある建物で、社殿の正門に当たる。
間口3メートル余、奥行2メートル弱、四方軒唐破風、胡粉(ごふん)で白く塗られ、彫刻を含め、清楚な感じで、国宝となっている。
なお、訪問時は、保存工事が行われており、写真に覆いなどが写っている。
透塀 (国宝)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
唐門から左右に延びて、社殿を囲んでいるのが、透塀(すきべい)、総延長160メートル、柱間87間という。
中が透いて見えるので透塀と呼ばれる。
なお、訪問時は、周辺で保存工事が行われており、写真に覆いなどが写っている。
眠猫 (国宝)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
眠猫は左甚五郎の作と伝えられる国宝で、奥宮参道への潜門の上にある蟇股(かえるまた)に彫られたもの。「眠り猫」との標識がなければ、気付かないで通り過ぎてしまう。
眠猫は、家康公が願った「戦のない平和な世」を象徴するとの、見方がある。
参考Webサイト
厭離穢土欣求浄土 本サイト内ページ
奥宮(参道・拝殿・鋳抜門・宝塔)
撮影:2015-12-24
所在地
栃木県日光市山内2301
案内板
坂下門
この門を潜り、石段を約200段登ると、家康公の御墓所奥宮がある
石段と石柵
このあたりの長い石段は、東照宮の建築の見所の1つである。石段は、1段毎に1枚石を用い、石柵は1本石をくりぬいて作ったものである。
東照宮御遺訓
人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し、急ぐべからず
重要文化財 鋳抜(いぬき)門
椎名伊豫(しいないよ)作
慶安3年(1650) 唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造し、それを組立てたものであり、鋳抜門と称する。当時の豪華な作風を示すもので、色調は御宝塔にふさわしく荘厳の気があふれている。
重要文化財 奥宮御宝塔 (御墓所)
御祭神家康公の神柩をおさめた宝塔である。8角9段の基盤の上にたち高さは5米、当初は木造であったが、石造に改められ、5代将軍綱吉公の時、現在の唐銅製(金・銀・銅の合金)に改鋳された。
鋳工椎名伊豫の作。 この神域は350年 2年大祭(昭和40年斎行)を記念して特別公開されている。
参考Webサイト
日光東照宮 公式サイト
東照公御遺訓 姉妹サイト「吟詠詩歌例示」の個別ページ