新設:2019-07-01
更新:2022-11-13
神福寺・加太氏菩提寺
撮影:2019-05-16
鹿伏兎(加太)氏の菩提寺・神福寺全景
手前線路はJR関西本線
山門(扁額 白鷹峰)
右表札:臨済宗神福禅寺
左表札:平重盛公後裔之菩提所
山門左手前設置標柱
表:鹿伏兎氏菩提所 右:鹿伏兎城址 山頂
本堂(扁額 瑠璃殿)
鐘楼
観音堂(東海白寿三十三観音霊場 第15番)
鹿伏兎氏墓所
左側の五輪塔は神福寺創建の貞俊(定俊)墓
右側の五輪塔は慶応3年(1867)江戸麹町の
加太八右衛門が祖先追福のため建立
案内板「三重県指定史跡鹿伏兎城跡」
山門左手前標柱「鹿伏兎氏菩提所」左に設置
名 称
臨済宗 東福寺派 医王山 神福寺 (元 新福寺)
所在地
三重県亀山市加太市場1718-2
創 建
至徳元年(1384) 加太家追善菩提のため 加太貞俊(定俊)
開 山
勅諡仏通痴兀禅師
本尊
薬師如来 (制作年代不詳であるが行基菩薩と伝えられる)
案内板 (神福寺山門前設置の関町教育委員会案内板)
三重県指定史跡 鹿伏兎城跡 三重県指定年月日 昭和56年3月14日
鹿伏兎(かぶと)城は、鈴鹿川一帯を支配した戦国武将関氏6代盛政(もりまさ)の4男四郎森宗(もりむね)(鹿伏兎氏祖)によって南北朝時代の正平(しょうへい)(1346~1369)のころ築かれた。
はじめ「牛谷(うしたに)城」と呼ばれたが鹿伏兎氏7代定好(さだよし)の代に修築して鹿伏兎(かぶと)城と呼称を改め、城郭を整えた。また天文11年(1542)に定好(さだよし)の子である鹿伏兎定長(さだなが)が、時の将軍である足利義晴(よしはる)に白鷹を献じたことから「白鷹城」と呼ばれるようになった。
その後、天正11年(1583)に9代定義(さだよし)は、豊臣秀吉の軍勢に敗れ、鹿伏兎城を捨てこの地を去った。現在でも標高264mの山頂には、75×60mの台状地に土塁、石垣、井戸が現存し往時の面影をしのばせている。
関町教育委員会 平成15年3月
補足
関町は平成17年(2005)1月11日に 亀山市と合併し 現在は亀山市となっている
参考文献Webサイト
鹿伏兎城跡 三重県教育委員会サイト
亀山市史考古編第12章 鹿伏兎城跡-加太城とその周辺 亀山市歴史博物館サイト