新設:2019-07-01
更新:2022-11-13
旧大和街道の道標と案内板
撮影:2019-05-16
所在地
三重県亀山市加太梶ヶ坂
案内板 (亀山市案内板)
大和街道 (やまとかいどう)
大和街道は、関宿の西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて奈良へ続く街道である。
都が奈良盆地にあるときは、伊賀を通って伊勢へ出る加太峠越えが東海道であった。しかし、都が平安京へ遷され、仁和2年(886) 阿須波(あすは)道が開かれると、近江から鈴鹿峠を越える経路が東海道の本筋となった。
壬申の乱(672) で大海人皇子が通過したのが この街道とされ、『日本書紀』には「越大山至伊勢鈴鹿」とある。また、『源平盛衰記』には 元暦元年(1184)、源義経が木曽義仲追討にあたり「加太山」を越えたと記し、天正10年(1582)6月、本能寺の変を堺で知った徳川家康が身の危険を感じ、急遽 本国の三河へ引き返した時も 加太峠を越えたとされている。
江戸時代には 東海道の脇街道として加太宿がが置かれ、東は関宿へ1里半、西は柘植宿へ2里8丁を継ぎ送った。本陣は加太板屋に、高札場・問屋場は加太市場にあり、旅籠は4~5軒あったとされる。
大和街道の往時の情景は、路傍の石仏に その名残が見られるだけとなってしまったが、ここ加太梶ヶ坂峠付近だけは 旧道の様子がよく残り その面影を留めている。
平成24年3月
亀山市
補足
加太市場側から鍛冶ヶ坂峠を経て国道25号と合流する亀山森林公園「やまびこ」入口近くにも同様の案内板が設置されている
加太峠(かぶととうげ)は 三重県の伊賀市と亀山市の間にあり JR関西本線の駅では「加太駅」よりも「柘植駅」に近い
参考Webサイト
亀山森林公園「やまびこ」 亀山市サイト
加太越奈良道 加太宿 亀山市サイト
往時を偲ぶ加太越 亀の細道ウォーキングまっぷ
加太越 Wikipedia
伊賀越え Wikipedia
旧大和街道の鍛冶ヶ坂峠道
撮影:2019-05-16
鍛冶ヶ坂峠道の石仏
撮影:2019-05-16
石仏(1)と石仏(2)は 見落としやすいほど小さく 旧大和街道の鍛冶ヶ坂峠道を東側(加太市場から)から登り始めた直後のやや右上に 少し離れてある 右の石仏は仏像が線で彫られている
石仏(3)は 旧大和街道の鍛冶ヶ坂峠道を東側から登る山道の左手にある これも小さなもの