新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
沿革
撮影:2018-04-11
所在地
愛知県豊田市松平町赤原 (松平東照宮の左方・西側)
案内板
松平郷桜馬場
ここは、昔、三河国加茂郡松平郷と称し、徳川家始祖の松平氏発祥の地、松平太郎左衛門家の舘跡で、お堀の内側に舘があった。
お堀の西側一帯を桜馬場と言い、中央の窪地に神饌田があり、一周300米位の馬場で、南側を下手馬場、山寄りを上手馬場と呼んでいた。
ここの松平4代長勝が井田野の合戦の戦功により、宗家4代親忠より騎馬兵士を率いて軍役を勤めるよう命ぜられた。
永正3年(1506) 宗家5代長親の時、岡崎へ今川勢が攻め寄せたおり、ここの5代勝茂が騎馬兵士を率いて一方の軍役をつとめ、敵を退けたと言う記録があるので、この馬場で訓練をしたと思える。
後世に至り、松平東照宮の4月の例祭には、明治維新まで三河国各地より献馬(飾馬)がされていたが、以後は近隣部落より献馬がなされて、祭の広場となり、駆馬、空砲、棒の手、芝居、煙火等に使用されて来たが、戦後、馬の飼育がされず、自然と献馬はなくなった。
その後、広場として使用され、お堀の附近、上手馬場に桜並木の一部が残り、昔の面影をしのぶことが出来ます。