新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-04-11
所在地
愛知県豊田市松平町寒ヶ入44
寺 名
本松山高月院寂静寺 (通称:高月院)
開 創
貞治6年(1367)
本 尊
阿弥陀如来
案内板 (豊田市教育委員会案内板)
高月院
高月院は、貞治6年(1367)の創建で、徳川氏の始祖、松平家の菩提寺です。
慶長7年(1602) 寺領、100石を徳川家康より下賜され、以後幕末に至るまで厚遇されました。
境内の収蔵展示室には、市指定文化財の高月院文書、弁財天の図、野風炉など貴重な文化財が展示されています。
境内は、国指定史跡「松平家遺跡」になっており、初代親氏、2代泰親、4代親忠夫人の墓所があります。
豊田市教育委員会
補足
松平郷ふるさとづくり委員会が設置したホームページ「松平氏発祥の地 松平郷」による高月院の説明によると次のとおり
1367年 足助次郎重宗の子、重政(寛立上人)が松平郷主在原信重の援護を受けて、「寂静寺」として建立したといわれている。
1377年に、親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進してから「高月院」と改め、松平氏の菩提寺となった。
参考Webサイト
高月院 松平氏発祥の地-松平郷サイト
本堂
撮影:2018-04-11
松平氏墓所 国指定史跡
撮影:2018-04-11
案内板 (豊田市教育委員会案内板)
国指定文化財(史跡) 松平氏墓所 国指定 平成12年2月4日
徳川家康(松平氏9代)の祖先である松平氏の墓所です。歴代住職の墓地より1段高い石垣上にあり、中央に松平氏の始祖である親氏の墓塔、右に2代泰親、左に4代親忠夫人の墓塔が配されています。
墓塔は3基とも花崗岩製の宝篋印塔で、室町時代中期から後期にのものと思われますが、いずれも一部が欠損しています。4代親忠夫人の墓があるのは、親忠の第4子超誉存牛上人が高月院第7代住職(1575年入山)であるため、母を祖先の陵墓の地に葬ったものと思われます。
墓域は50平方メートルあり、文政年間に11代将軍徳川家斉、明治23年に旧大和郡山藩主柳沢保申がそれぞれ修築して現在に至っています。
豊田市教育委員会
右写真の立札がある墓碑は次のとおり
[左]
太郎左衛門家中興の祖
松平太郎左衛門第9代尚栄
承応3年(1654)2月24日没84歳
[右]
松平太郎左衛門第10代重和
寛文4年(1664)正月15日没58歳
山門・仏足石・元信君手植
撮影:2018-04-11