新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2015-06-12
名 称
天台宗 吉祥陀羅尼山 薬樹院 瀧山寺(たきさんじ)
所在地
愛知県岡崎市滝町字山籠107
但し、 瀧山寺三門(俗称:仁王門)の所在地は 岡崎市滝町字入ノ谷11
(県道335号に架かる「仁王門橋」近く、 本堂がある場所から1㎞弱 離れている)
開 創
600年代(奈良時代)
案内板 (岡崎市教育委員会案内板)
国指定重要文化財
瀧山寺
建造物 瀧山寺三門 一棟 明治34年3月27日指定
建造物 瀧山寺本堂 一棟 明治37年2月8日指定
彫 刻 木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像 三軀
昭和56年6月9日指定
瀧山寺は、「瀧山寺縁起」によると役小角の草創といい、保安年中(1120~23)に比叡山の僧仏泉永救が再興した天台宗の寺院である。
以後本寺は、 古代末期から奈良時代にかけて藤原氏系熱田大神宮司家・三河国守護足利氏とその被官衆といった中央権力と密接する有力な檀家を持つことによって経済基盤を固め、隆盛を誇った。
近世では正保2年(1645)将軍家光の命により本堂の隅に東照宮が建立され、幕府の保護のもと繁栄を続けた。
三門(仁王門)は、文永4年(1267)の建立で、和様建築の伝統を保つ本市現存最古の建築物である。
本堂は、4度目の造営と推定され、様式的に禅宗様の影響を強く受けた南北朝期の建築である。
観音菩薩・梵天・帝釈天立像は、源頼朝の従兄にあたる僧寛伝が頼朝追善のため本寺域内に建立した惣持禅院に安置したもので、仏師運慶とその一門による制作であるという。他に県及び市指定文化財数16件
岡崎市教育委員会
鬼まつり
奇祭とされる「鬼まつり」は 旧暦正月7日に近い土曜日に行われ 鎌倉時代から受け継がれる 県指定無形文化財
燃えさかる炎の中 運慶作と伝えられる祖父面・祖母面・孫面の鬼が鏡餅を持って現れ 天下泰平と五穀豊穣を約束するという
鬼面は 父面と母面もあったが 2人の旅僧が斎戒沐浴を行わないまま 面を付けて祭をしたところ 面が離れず死んだため 2人を葬ったので 父面と母面はないという 「鬼塚」が本堂左手前にあり その脇に「薬師如来像」が建っている
東照宮
明治初期の神仏分離令で分離された瀧山東照宮が 本堂右隣一段高い所にある
参考Webサイト
瀧山寺サイト
産業遺跡
バス停「瀧山寺下」脇の青木川辺りから上流にかけてある3段の堰堤は ガラ紡糸製造用水車が最大時27基あった産業遺跡とのこと
本堂
撮影:2018-04-12
三門(仁王門)
撮影:2018-04-12
所在地
愛知県岡崎市滝町字入ノ谷11
案内板 (岡崎市教育委員会案内板)
国指定重要文化財
瀧山寺 建造物 瀧山寺山門(たきさんじさんもん)
3間1戸楼門、屋根入母屋造こけら葺。斗組は下層三手先、上層尾垂木三手先の典型的な中世の楼門で、ほとんど純和風で造られ、わずかに上層部頭垂木鼻に天竺様の影響が認められる。「滝山寺縁起」によると、文永4年(1267)の建立で、市内最古の建造物。楼上正面の扁額は文永12年正三位藤原朝臣経朝の書。
工事にあたり、飛騨権守藤原光延が垂木を逆さに打ったのを恥じて自殺したとの伝承があり、正面左手の塚はその墓という。
明治34年3月27日指定
岡崎市指定文化財
彫刻 木造仁王像(もくぞうにおうぞう) 2躯
阿形(右側)総高294.3㎝、吽形(左側)総高287.0㎝
昭和57年9月8日指定
岡崎市教育委員会
蛇足
瀧山寺三門(通称:仁王門)は、バス停「滝仁王門前」脇にあるが、そこで停車する「大沼または上米河内」行のバス便が少ないので、「滝団地」行のバスで滝団地口で下車し、数分歩いて青木川に架かる「仁王橋」を渡ると、瀧山寺三門(仁王門)が右側に見えてくる。早朝、濃い朝霧に包まれた三門は趣があった。三門からバス停「瀧山寺下」までは、早足なら約10分ほど
参考Webサイト
瀧山寺サイト
瀧山寺宝物殿
撮影:2015-06-12
所在地
愛知県岡崎市滝町字山籠107
瀧山寺宝物殿には、沢山の仏像や滝山寺縁起などが展示されている。その中からほんの少しを感想を交えながら、紹介させていただく
1.運慶と湛慶の父子作「聖観音」「梵天」「帝釈天」(何れも国指定重要文化財)
鎌倉時代初期(1201) 源頼朝の従兄弟にあたる瀧山寺住職式部寛伝が頼朝の追善供養のため境内に惣持禅院を建立、その本尊と脇侍として祀られていたもの
このうち、「梵天立像」は、2018年1~3月、神奈川県立金沢文庫の特別展で拝観し、他の運慶作品とは異なった穏やかで美しいとの印象を受けた。
3体揃った状態で拝観することを期待しての早朝訪問であったが、ご住職の熱の籠もった説明を聴きながら、各作品の裏側まで拝観した。「聖観音」は、何かなまめかしさを感じさせるものがあった。
2.「十一面観世音菩薩立像」(鎌倉時代)
観音堂の本尊は平安時代作の「十一面観音菩薩立像」(岡崎市指定文化財)で、宝物殿に安置されているが、この仏像は観音堂本尊の御前立の仏像
玉眼、裙(裳)には肉眼では見え難い細かい装飾が施されている仏像で、仏像にあたる光の角度で顔の表情が変わり、慈悲深い顔と厳しい顔を見せてくれる不思議な仏様。
瀧山寺宝物殿を訪ねて拝観する価値がある
3.「滝山寺縁起」
鎌倉時代末期に書かれたと思われる「滝山寺縁起」が何回か書写され、寛永20年(1642)に常心坊の円海という僧が書写した「円海本」と称するものが、現存する「滝山寺縁起」で、これをもとに、住職から説明を受けた。
補足
本サイト管理人が、2015年6月に瀧山寺を訪問したときは、路線バスの時刻の関係があって宝物殿に立ち寄ることができなかったので、2018年4月の訪問では余裕のある日程を組み訪ねた。ただ、路線バスの便数が少なく、路線バスで訪ねるのが不便であることには変わりはない。
参考サイト
瀧山寺サイト
本坊
撮影:2018-04-12
観音堂
撮影:2018-04-12
観音堂に安置されていた本尊は、現在、宝物館に安置されている。
重要文化財級の仏像ではと思えるもの。
詳細は「宝物館」項をご覧下さい。