新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-04-10
所在地
愛知県名古屋市中区丸の内2-3-37
案内板
由緒記
1.御祭神 徳川家康公
1.例祭日 4月17日
1.創 建 元和5年9月17日
当社に奉斎する家康公は、尾張徳川家中興の祖にして、名古屋の地を開き、城を築きて第9子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にして恩神でもあります。
家康公逝去後3年、即ち元和5年(1619)9月17日に義直公は日光山鎮座の式に準じて城郭内三の丸に社殿を創建し、天台宗尊寿院並びに神主吉見氏を以て奉斎せられ、社領1千石を附せられたが、廃藩と共に廃せらる。
明治5年5月に村社に列せられ、同年8月8日県社に昇格、同9年10月旧藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。
建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び、輪郭の美を極めていたが戦災を被り烏有に帰す。
現在の本殿は、昭和28年10月、尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟(慶安4年(1651)建立)を移築し、社殿とする。
昭和35年6月愛知県重文に指定さる。
例祭は、家康公3年忌に当る元和4年より斎行せられ、名古屋祭と称し、16日は舞楽を奏し、17日は神幸の儀が行なわれ、神輿を始め、山車9両が若宮八幡社迄渡御す、山車は戦災に依り悉く焼失せり。
東照宮
参考Webサイト
名古屋東照宮サイト
社殿
撮影:2018-04-10
所在地
愛知県名古屋市中区丸の内2-3-37
案内板 (名古屋市教育委員会案内板)
東照宮社殿
東照宮は元和5年(1619)尾張藩祖義直が、名古屋城三の丸に創建、明治9年(1876)にこの地に移されたが、昭和20年戦災により焼失した。
現在の社殿は、義直の正室高原院の霊廟で、万松寺内にあったものを大正3年(1914)建中寺に移し、更に昭和28年に東照宮社殿として移建されたものである。
棟札によれば慶安4年(1651)の建物である。県指定文化財。
名古屋市教育委員会
補足
社殿を囲む透塀の右隣に、東照宮の末社として福神社があり、さらに、その右隣に明治維新後の神仏分離令により三の丸から移されたという那古野神社(旧亀尾天王社)や、福寿稲荷社などがある。
参考Webサイト
東照宮社殿 文化財ナビ愛知サイト