新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
石碑「三方原古戦場」
撮影:2018-04-13
名 称
三方原古戦場
所在地
静岡県浜松市北区根洗町
バス停「三方原墓園(金指方面行)」脇 バス停「根洗」から約900m
案内板 (浜松市観光・シティプロモーション課案内板)
三方原古戦場
上洛を目指した武田信玄は元亀3年(1572)10月3日に2万5000の軍勢を率いて甲府を出発、同年12月22日には浜松城の北側に広がる三方原に進出してきた。
徳川家康は家臣の反対を押し切って1万1000(徳川軍8000と織田信長の援軍3000)の軍勢を率いて浜松城を出発、武田信玄の軍勢に迫った。
徳川軍はいつでも攻撃できるような鶴翼の形をとり、家康の陣形を確認した武田信玄は魚鱗の陣形をとった。戦いは日暮れに近いころ、ここ三方原の根洗付近で開始されたが、徳川軍は武田軍の前に惨敗、総崩れとなって浜松城に退却した。
この戦いで敗れた家康は多くの教訓を得た。「浜松市史」ではこれを次のように記している。
「この敗戦によって弾力のある積極性の重要さを身をもって体験した。また、野戦のかけひき、短時間で勝敗を決するという哲理を学びとったのである。家康が野戦の名将となったのは,三方原の敗戦によってえた経験が大きく作用している。」
平成28年3月 浜松市観光・シティプロモーション課
補 足
碑「三方原古戦場」左前の脇碑では、三方原古戦場の説明が刻されており、十分時間をかければ、ある程度は判読できるかも知れないが、短時間では難しく、写真に撮っても読めない。しかし、代わりに上掲内容の案内板が平成28年3月に設置されている。
参考Webサイト
三方原の古戦場を訪ねる 「近江の城郭」サイト
三方ヶ原古戦場 浜松・浜名湖観光情報サイト
三方ヶ原の戦い ウィキペディア
道標「祝田坂への旧道」
撮影:2018-04-13
名 称
道標「祝田坂への旧道」
所在地
静岡県浜松市北区根洗町
バス停「根洗」からバス停「三方原墓園」方向へ約300m 2つ目の信号右脇
案内板 (三方原歴史文化保存会案内板)
祝田坂の旧道
三方原の戦いから現在までに、すでに420年の歳月が流れている。三方原の戦いでは、武田軍3万に対し、徳川軍は援軍を含めても1万1千、3分の1の兵力で、しかも老練な戦術家の信玄に立ちむかうことは、極めて不利な戦いでもあった。
徳川軍は、武田軍が祝田坂を下るところを一気に攻めようと、両軍とも祝田坂に勝利のきっかけをつかもうとしたことは確かだ。
著名な三方原の戦いの書物に、写真入りで紹介されている。しかしながら、現在バスの通行している新道の祝田坂は誤りである。三方原の戦いの時の祝田坂は、旧道であることを多くの人に知ってもらいたい。
三方原歴史文化保存会
補 足
「祝田坂の旧道」は、路線バスが走る「国道257」の西側にあるとのこと。
国道257はバス停「祝田(ほうだ)」辺りからバス停「根洗」にかけて上り坂になっている。次に掲げる[参考Webサイト]を参考にして下さい。
参考Webサイト
三方原の古戦場を訪ねる 「近江の城郭」サイト