新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-04-13
名 称
臨済宗方廣寺派大本山 深奥山(じんのうざん)方廣寺
所在地
静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1
開 創
建徳2年(1371)
開 山
無文元選(むもんげんせん)禅師
開 基
奥山六郎次郎朝藤
案内板 (方広寺)
臨済宗大本山方廣寺
方廣寺は末寺170ヵ寺を擁する臨済宗方廣寺派の大本山で、井伊家の一族・奥山六郎次郎朝藤(是榮居士)が後醍醐天皇の皇子無文元選禅師を開山と仰ぎ建徳2年(1371)に建立した寺。寺名を深奥山(じんのうざん)方廣寺(ほうこうじ)というのは、開山禅師が悟後の修行をされた中国の天台山にこの地形が似ていたので、そう名付けられたもの。
開山さまご在世のころは、常に500人の雲衲(うんのう)(修行僧)が参禅弁道していたと寺史に誌されており、妙心寺第4代の長老・日峯宗舜禅師もここで開山さまについて修行の末に見性(最初の悟り)したと記録をとどめている。境内にまつる五百羅漢はその姿を象徴したもの。
開山禅師が親王さま(幼名満良親王)だけに、境内の堂塔、仏具のすべては600年来、16の菊のご紋に映え、光格天皇から"大慈普應禅師"、明治天皇から"聖鑑国師"、今生陛下から"圓明大師"、とそれぞれ勅謚され、また孝明天皇から住持職出世、紫衣寺格のる稱も恩賜されているが、それは衆生を教化されただけではなく、寺中に癩病院を建て世人を救われた高徳のたまものといえよう。
昭和30年、当時の管長足利紫山猊下が奥山老人ホームを新設、経営されたのも開山さまの遺徳をつぐよすがといわれている。
鎮守の"半僧坊大権現"や"権河龍王"は,いずれも開山さまの遺徳にまつわる縁起によるもので、山門(正面朱塗りの楼門)の掲額は高松宮宣仁親王の御染筆、当山の管長が"金糸菊花御紋章入り"の袈裟を着用するのは、開山さま(皇子禅師)の後継者たる格式による。
なお、本堂にまつるご本尊の釈迦如来、文殊、普賢の2菩薩は、水戸の黄門・徳川光圀卿の発願により修理されたと背面に誌されており、歴代皇室は勿論、豊臣・徳川の両家からも尊崇された東海きっての名刹である。
補 足
徳川家康は、三河から遠江に攻め入る時、方広寺に近い陣座峠(現愛知県新城市と現静岡県浜松市の県境)に陣を敷いたと伝えられ、陣座峠の名もその史実に由来するといわれる。
参考Webサイト
方広寺サイト