新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
沿革
撮影:2015-06-13
所在地
中区元浜町 (右隣ラーメン店は133番地)
永禄11年(1568) 家康が引間城を明け渡せば助命すると、椿姫(飯尾乗龍の妻・お田鶴の方)を説得したが、椿姫が応じなかったので、家康は引間城を攻撃し、椿姫は侍女18人と共に討死した。
家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建て、家康の正室・築山御前は椿姫とは母親同士が義理の姉妹であったこともあり、祠の周囲に100本余りの椿を植え供養した。
付近の人々は椿姫塚と呼んで追善供養を続け、昭和19年(1944)御堂を建てたが、浜松大空襲で焼失、昭和27年(1952)再建し現在に至る。