新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-04-14
名 称
静岡浅間(しずおかせんげん)神社 (次の3社を総称)
神部神社 浅間神社 大歳御祖神社
境内社
麓山神社 八千戈神社 少彦名神社 王鉾神社
所在地
静岡県静岡市葵区宮ヶ瀬町102-1
案内板 (静岡浅間神社案内板)
由緒
3社からなる当社は、海道屈指の名社として朝野のあつい崇敬を受け、殊に、駿府(現静岡市)に縁り深い徳川家康公の崇敬以来、徳川幕府の宗廟として崇められた。
[神部(かんべ)神社]
崇神天皇7年(紀元前90)の鎮座と伝え、延喜式内で倭文機神社・美和明神とも別称され、この地方最古の社。制による国府がここに置かれ駿河国総社と仰がれた。次の各社と共に夫々が、県社に列格され国幣小社に昇格した。
[浅間(あさま)神社]
醍醐天皇の勅願により延喜元年(901)富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したと伝え、全国1300余社の分祀のうち最大最古の社。富士山を神体山と仰ぎ、富士新宮と称えられる安産子授けの神。後世、仏説の影響で「センゲン」と音読する。
[大歳御祖(おおとしみおや)神社]
應神天皇4年(273)の鎮座と伝え、延喜式内社で奈吾屋(なごや)社・大歳天神とも別称された。上古からの「安倍乃市(現市街)」の守護神・地主神として崇められてきた。社名は、大年神・倉稲魂神(稲荷大神)の母(御祖)神
の意を表している。
この3社は、静岡市街の北北西の方位、「静岡」の地名の由来となる賤機山(賤ヶ丘)の最南端に、神部・浅間両社は東面して、大歳御祖神社は南面して祀られる。古くから朝廷をはじめ、国司・武門・武将が崇敬し、徳川家はもとより、各時代に於て北条氏(鎌倉幕府)・今川氏・武田氏が社殿の造営、社領の安堵等の赤誠を捧げた。
社殿
"東海の日光"と 称揚される社殿群は、全26棟が江戸後期を代表する神社建築として重要文化財に指定されている。舞殿以外は、全て総漆塗・極彩色で、神部・浅間両社の「大拝殿」は、浅間造の特殊建築で棟高25.8米の豪壮な規模を誇り、同「本殿」の彫刻と生彩色の華麗さは、全国に比類をみない建築装飾の秀作である。特に彫刻類は、立川和四郎富昌をはじめ立川流一門の爛熟した技を凝らしている。
史蹟
国指定史蹟「賤機山古墳」
宝物資料
太刀(銘)備前長船住長光(重文)・狩野探幽三十六歌仙扁額・山田長政奉納戦艦図・その他
補足
東照宮は、寛永年間に家光公によって社殿造替の折、神部神社に相殿として勧請された
参考Webサイトほか
静岡浅間神社 静岡浅間神社サイト
「徳川家康公」全国東照宮連合会刊