新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-03-02
所在地
神奈川県横須賀市鴨居3-5-5
案内板
八幡神社由緒
祭神は誉田別尊(第15代応神天皇)治承4年(1180)源頼朝鎌倉に入り幕府の礎石を築くに当り、三浦氏は軍功あった当三浦郡を領し、一族門葉最も栄えた時である。
その頃三浦大介義明の第4子多々良四郎義春が、鴨居の領主として他の三浦党と共に三浦一円に勢威を張っていた。当社は義春が源家の命を受け養和元年(1181)鶴岡八幡宮を勧請したと伝えられる。
新編相模国風土記には、「八幡社村の鎮守なり祭礼は8月15日縁起は養和元年6月頼朝卿当縣遊覧の折勧請ありし由記せり」とある。
明治6年村社に列せられ42年10月22日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
(以下、略)
八幡神社Webサイト
[御祭神]
八幡神社: 誉田別尊(ほんだわけのみこと)・第15代応神(おうじん)天皇
須賀神社: 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
[境内社]
天満社(てんまんしゃ)・天神さま
稲荷神社
[相殿(あいどの)]
大鳥(おおとり)神社、金刀比羅(ことひら)神社
神明(しんめい)社、近戸(ちかど)社、御霊(ごれい)神社
亀崎(かめざき)神社、東照(とうしょう)神社
案内板
鴨居 (地名の由来)
応安6年(1373)の室町幕府の記録に「相模国 鴨江」とあります。
地名の由来については
(1)アイヌ語のカムイ(神)からという説、(2)鴨の群集する所、家居、村落とする説、(3)カモを神とする説、(4)浦のある水辺とする説など諸説があります。
上の台中学校の敷地からは、弥生時代中期から古墳時代初期にかけての大規模な住居跡がある上の台遺跡が発見されました。
江戸時代には、「鴨居のタイ」は逸品として知られ、江戸城の料理に用いられたといわれます。
幕末期に江戸湾海防の任にあった会津藩士の墓は、腰越、西徳寺、能満寺などにあります。
浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ
参考Webサイト
八幡神社 横須賀市役所サイト
鴨居八幡神社 八幡神社サイト
本殿・天満社・稲荷社
撮影:2018-03-02