新設:2019-04-26
更新:2023-10-10
日西墨比貿易港之碑 (国際貿易港浦賀の碑)
撮影:2019-04-20他
所在地
神奈川県横須賀市東浦賀2-21-25 東叶神社内
建立経緯
「浦賀湊を世界文化遺産にする会」が建碑を推進してきた「日西墨比貿易港之碑(国際貿易港浦賀の碑)」除幕式が 2019年4月25日(木)10時から東叶神社境内で行われた。
建碑は多くの賛同者からの浄財によるもので、東叶神社宮司 東叶神社氏子 近隣各町内会および浦賀湊を世界文化遺産にする会の各代表が除幕を行い、静岡市駿河区用宗(もちむね)から「用宗活性化協議会」正副会長・事務局長の3名が参列し 会長が挨拶された。
石材として 碑本体にインド産インプリアル・レッド 台座にインド産マホガニ を使用したという。
碑 文
日西墨比貿易港之碑
Monument of Trade between Spain・Mexico・Manila via Uraga
慶長3年(1598)、徳川家康はスペイン(西)領メキシコ(墨)から新製錬技術を導入するため、スペイン領マニラ(比)からメキシコのアカプリコ港へ向かうスペイン商船(ガレオン船)を浦賀湊に寄港させるよう交渉した。そのため、慶長5年に上陸した英人ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針)を顧問とし、江戸邸のほか三浦郡逸見村の采地と浦賀邸を与えた。三浦按針はマニラにも渡海し浦賀貿易再開のために尽力した。江戸・浦賀・静岡・伏見・大坂にはフランシスコ会修道院が創設され、浦賀洲崎にはスペイン人を保護する高札が立てられた。この浦賀貿易を管轄していたのが船奉行向井将監忠勝である。
浦賀湊には前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビペロ・イ・アベルサやメキシコ国王の使節セバスチャン・ビスカイノが訪れ、三浦按針建造のブエナ・ベントゥーラ号はロドリゴの帰国のために提供され浦賀を出帆し、幕府船として初めて太平洋航路横断を果たした。伊達政宗の遣欧船サン・ファン・バウティスタ号もスペイン国王使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリナを乗せ入港している。
三浦按針の母国との通商成立は来日から14年目であり、その3ヶ月後の慶長18年12月全国にバテレン追放令が公布された。元和2年(1616)貿易港は長崎・平戸に限定され、三浦按針が平戸への移住を余儀なくされるまで、浦賀は長崎と並ぶ東国唯一の国際貿易港として重要な役割を果した。
2019年4月吉日
建碑発起人 浦賀湊を世界文化遺産にする会
撰 文 日本海事史学会 鈴木かほる
建碑賛同人 東叶神社氏子会
寄付者一同(裏面に記載)
施 工 石平石材店 <注>裏面
参考文献
●鈴木かほる著『徳川家康のスペイン外交』2010年 新人物往来社刊
● 鈴木かほる著「スペイン外交と浦賀湊」『郷土神奈川52号』2014年2月 神奈川県立図書館刊―神奈川デジタルアーカイブ
●鈴木かほる著「――スペイン史料から――英国通商成立までのウイリアム・アダムスの13年間の動向を検証する」国史学第239号抜刷 2023年(令和5)9月30日
補足1
本建碑に先立ち 建碑記念シンポジウム「家康と按針」が 横須賀ベイサイド・ポケットで2019年4月6日(土)に 「浦賀湊を世界文化遺産にする会」主催、横須賀市と横須賀市教育委員会の後援で開催され、パネリストは次のとりであった。
鈴木かほる(日本海事史学会)
マニラとアカプリコの間の浦賀湊 [基調講演]
岩淵聡文(東京海洋大学)
国間にまたがるユネスコ世界文化遺産
山田義裕(日本海事学会)
マニラ・ガレオン
T.M.Perrin(オックスフォード大学)
未来の世界遺産発掘:
浦賀湊スペイン駐留の物質的証拠
補足2
マニラ・ガレオン船「サン・フェリペ(San Felipe)」模型
「THE ROPE」主催「第44回ザ・ロープ帆船模型展(2019-4-14~20 東京交通会館)」で特別展示され 次の説明が添えられていた
年代:16世紀後半 国籍:スペイン 縮尺:1/37
制作者:サン・フェリペ製作プロジェクトチーム
製作期間:16ヶ月
この模型は『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の世界遺産認定を機に、大浦天主堂付属博物館展示用として当会が製作依頼を受け、日本海事史学会:山田義裕氏の監修のもと製作された。
この船はマニラとアカプリコ間の交易に使用された所謂マニラ・ガレオンである。模型作製にあたっては、メキシコで1587年に発行された「航海指南書」所載の要目と図面をベースとした。325スペイン・トンの船で、マニラ・ガレオンとしては中型である。
THE ROPE Model Ship Builder's Club