新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-05-05
名 称
瀬戸神社
所在地
神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14
創 建
治承4年(1180)
源頼朝が挙兵した年で、頼朝が伊豆三島明神(三島市三嶋大社)を勧請
祭 神
主祭神 大山祇命 (オホヤマツミノカミ)
配 神 (相殿として) 須佐之男命 菅原道真公
合 祀 円通寺東照宮(徳川家康公) 旧六浦地区内各字神社 (何れも明治時代に合祀)
境内社 琵琶嶋神社 青麻社 左末社 右末社 祖霊社
案内板 (横浜市教育委員会案内板)
瀬戸神社
中世都市鎌倉の外港として栄えていた武蔵国六浦庄(現金沢区全域)における中心的な神社。平潟湾と瀬戸入海をつなぐ潮流の速い海峡を望む地点に、古代から海の神としてまつられたと推定されますが、社伝では治承4年(1180)に源頼朝が伊豆三島明神(三島市三嶋大社)を勧請したのが起源とされています。祭神は大山祇命。
鎌倉時代以来、執権北条氏・鎌倉公方足利氏・小田原北条氏などといった歴代の権力者によって保護され、江戸時代に入っても100石の朱印地を徳川将軍家より与えられています。
現在の社殿は、寛政12年(1800)に建造され、屋根は、昭和4年(1929)に銅板に葺き替えられています。
また、境内正面より平潟湾へのびる突堤の先端部にまつられている弁天社(琵琶島神社)は、頼朝の夫人北条政子が琵琶湖の竹生島から勧請したものと伝えられています。
瀬戸神社の文化財-詳細略-
[木造神像]-横浜市指定有形文化財(彫刻)-7軀
[木造舞楽面]-国指定重要文化財(彫刻)-2面
[瀬戸神社の湯立神楽]-横浜市指定無形民俗文化財
[瀬戸神社の大カヤ]-横浜市指定天然記念物
[瀬戸神社社叢林]-横浜市指定天然記念物
参考Webサイトほか
瀬戸神社 瀬戸神社サイト
「みたまのふゆ」第82号瀬戸神社-平成29年5月15日発行
「徳川家康公」全国東照宮連合会刊
瀬戸神社 猫の足あとサイト
歴史息づく横浜金沢 横浜市金沢区役所地域振興課サイト
琵琶島神社
撮影:2018-06-02他
名 称
琵琶島神社 (別称:立身弁財天 通称:弁天様)
所在地
神奈川県横浜市金沢区瀬戸2
案内板 (横浜市教育委員会案内板)
横浜市地域史跡 琵琶島
琵琶島は島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われます。
島には北条政子が近江(滋賀県)の竹生島から勧請した弁財天を祭ってあります。もとは瀬戸神社前面の海中にあり、2つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸つづきとなっています。
金沢八景の1つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝えるところです。
よるなみの瀬戸の秋風小夜更けて
千里のおきにすめる月かけ
京極高門
平成4年3月
横浜市教育委員会
案内板 (横浜金沢ロータリークラブ案内板)
金沢八景名称の由来
その昔、 金沢六浦の地は海路の要所となる重要な港湾であっただけでなく、浦波島山のさまが千変万化に見えて、鎌倉幕府以来の武将たちはもとより、江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所であったことは史実に明らかであります。
八景の名称は、水戸の徳川光圀に招聘された中国の僧・東皐心越禅師が元禄7年(1694) この地に来遊し、谷津の能見堂からの眺めを故郷の杭州西湖の風景になぞらえて、八景を吟じたのにはじまるといわれています。
武州 金沢八景
洲崎(すさき)の青嵐(せいらん) 野島(のじま)の夕照(せきしょう)
瀬戸(せと)の秋月(しゅうげつ) 平潟(ひらかた)の落雁(らくがん)
小泉(こずみ)の夜雨(やう) 内川(うちかわ)の暮雪(ぼせつ)
乙舳(おつとも)の帰帆(きはん) 称名(しょうみょう)の晩鐘(ばんしょう)
野島山の沖には、夏島、烏帽子岩、猿島が点在しており、今日の六浦・泥亀・釜利谷にまで入り込む内海と緑の山なみが作り出す風景に加え、四石・七井・八名木のほか、神社・寺院が適切に配置されていて、今から数十年前までは、真に景勝の地でありました。
横浜金沢ロータリークラブ
参考Webサイト
瀬戸神社 瀬戸神社サイト
琵琶島神社 横浜金沢観光協会サイト
歴史息づく横浜金沢 横浜市金沢区役所地域振興課サイト
旧円通寺東照宮
名 称
旧円通寺東照宮
所在地
神奈川県横浜市金沢区瀬戸
京急金沢八景駅西方 御伊勢山・権現山中腹
創 建
万治年間(1658~1660) 金沢の代官八木次郎左衛門が創建
併せて、別当寺の日輪山円通寺も天台宗浅草東光院末として草創(推定)
創建以降の変遷
[享和2年(1802)頃]
東照宮再建、円通寺客殿建築
[天保14年(1843)]
東照宮修復
[慶應4年(1868)]
神仏分離による円通寺廃寺、住職木村芳臣が還俗のうえ円通寺客殿を自宅とし以後5代住み続けた
[平成7年(1995)]
横浜市が「木村家住宅母屋(旧円通寺客殿」として歴史的建造物に認定
[平成19年(2007)]
横浜市が、旧円通寺客殿敷地背後の西南北の御伊勢山・権現山の樹叢を、史跡名勝天然記念物に認定
[平成30年(2018)6月現在]
旧円通寺客殿敷地を含む一帯を、(仮称)金沢八景西公園(風致公園)として整備中で、旧円通寺客殿は保存した旧部材を活かして歴史的建造物として復原する予定という。
瀬戸神社社報「みたまのふゆ」第82号 (平成29年5月15日発行)から転載
<注>
転載に当り、2018-06-02(土)9時に瀬戸神社を訪問のうえ、佐野和史宮司から口頭にて転載の承諾を頂いた。なお、仮名づかいは原文のまま、漢数字は熟語または熟語に準じるものは漢数字のままとし、年月日などは算用数字に変えた、写真2点も転載
金沢八景駅西口と歴史自然公園の整備計画
金沢東照宮と円通寺
左の写真は「東照宮」と書かれた掛け軸です。筆者は高橋泥舟です。泥舟は勝海舟・山岡鉄舟とともに「幕末の三舟」とも称される人物です。
この3人は幕臣として江戸幕府の滅亡と明治維新に際して、老中・年寄といふような高い身分ではありませんでしたが、薩長・朝廷方との折衝等に大きなはたらきをしました。それによりわが國を二分するやうな大きな内乱が避けられ、内乱に乗じて植民地化を図ろうとする西欧列強の圧力をかはして近代化にすすむことができました。
そのはたらきの根底には、3人ともに武道の達人であり、その武道の基礎に「剣禅一如」といはれるやうな悟りといふか、肝の据わった覚悟を体得した人物であったといはれます。
泥舟はもとは山岡家の出身で、槍の名手でありました。次男でしたので高橋家の養子となりましたが、兄が若くして亡くなりました。その実家の山岡家を泥舟の妹の婿となって継いだのが鉄舟でした。
大政奉還から江戸城開城して水戸に逼塞する徳川慶喜公に警護役として近侍したのが泥舟です。明治になり、幕臣の中にも榎本武揚のやうに明治政府に出仕するものもありました。泥舟にも優秀な人材として出仕の誘いはあったやうですが、「県知事程度では意味がない。太政大臣になってくれといふなら請けぬでもない」と断った逸話が残されてゐます。幕臣としての忠義を貫いたといへますが、心底に東照大権現への篤い信頼があったといふことです。
その泥舟の筆になる「東照宮」の1行書ですが、これは故木村隆男氏の所蔵になったものです。木村家は、地元の皆さんは金沢八景駅の西側に藁葺き屋根の由縁のありさうな建物があったのをご存じでせうが、この建物の御当主でした。そしてこの建物は木村家住宅主屋(旧円通寺客殿)として平成7年に横浜市認定歴史建造物に指定されてゐました。
明治維新までは、円通寺といふお寺であり、その客殿がこの建物でした。しかし円通寺といっても普通のお寺のやうに檀家を持つお寺ではありません。東照宮を管理することを基本的な務めとするお寺だったのです。
徳川家康は慶長5年、関ヶ原の合戦の直前に大阪から江戸へ戻り、さらに会津へ進発するといふ途中(小山まで行ったときに三成の挙兵を知り、関ヶ原へ向かひます)に、鎌倉から金沢八景の地を訪れていますが、そこで金沢の風光が大層お気に召したのださうです。ですから江戸城御殿の将軍の御座所の襖絵には、特に金沢の風景を選んで狩野派絵師に描かせました。
風光も勿論ですが、江戸と結ぶ海上交通の拠点としての軍事・経済的な重要性も考慮したに違ひありません。
のちに、秀忠に将軍職を譲り駿府に隠居して大御所様となってからも、江戸へ赴く時には金沢に寄って、権現山(円通寺客殿の後背の山を権現山といひます)から八景の景観を愛でたのださうです。秀忠は、家康が八景をながめるための御殿をここに作らうと考へましたが、未着工のうちに家康が亡くなりました。
家康の遺言により久能山、さらに日光に墓所を設け、東照大権現としてお祀りをするのですが、家康公の八景御殿の予定地にも小さいながら東照宮を造営し、その管理のために、円通寺といふ寺院を設けてその祭祀にあたらせたのです。
明治維新後の神仏分離により、円通寺は廃寺となり、東照宮は瀬戸神社に合祀されました。代々、円通寺の住職であった家柄を継承した木村隆男氏は、住居の別棟に小さな御神座を設け、この「東照宮」の掛け軸を掛けて、桜の季節になると、この円通寺の史跡を守る会の人々とともに東照宮祭を毎年営むことを例とされてきました。
横浜市は金沢八景駅周辺の区画整理に併せ、この地域を木村家から買い取り、公園として整備する計画を進行中です。公園の名称は「(仮称)金沢八景西公園」として、円通寺客殿は解体整備して再建保存されることとなってゐます。
この事業をより意味の深いものとするためには、徳川家康ゆかりの公園であることをもっと明瞭にして、郷土の歴史的文化的意義づけを考慮すべきです。
公園の名称も家康や東照宮の縁故のことが判るやうなものにすべきですし、公園のなかの、古くは東照宮があった場所には、家康公の記念物を安置して、そこに由緒を明記した説明板をしっかり設置したいものです。皆様からも、市当局へ広く要望していただきたく存じます。
参考Webサイトほか
瀬戸神社 瀬戸神社サイト
「みたまのふゆ」第82号瀬戸神社-平成29年5月15日発行
旧円通寺客殿(旧木村家主屋)概要史料 横浜市都市整備局サイト
「徳川家康公」全国東照宮連合会刊
瀬戸神社 猫の足あとサイト
木村家住宅(旧円通寺客殿) for Travel サイト
蛇 足
皆様なら、京急金沢八景駅西方に誕生する予定の「歴史自然公園」の名称をどのように名付けますか?
仮称は、「金沢八景西公園」となっていますが、観光振興も狙うのなら、遠方から訪ねたくなるような公園名にするのも……