新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
沿革
撮影:2018-01-08
所在地
東京都文京区小石川3-14-6
案内板
傳通院の墓所
当山は、応永22年(1415) 浄土宗第7祖了誉聖冏上人が開山されました。当時は小石川極楽水(小石川4丁目)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。
それから約200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75歳で、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになり、以来千姫(天樹院殿―2代将軍徳川秀忠公・於江の方の長女)や孝子の方(3代将軍徳川家光公の正室)、於奈津の方、初姫など多くの徳川家の子女達が埋葬されるようになりました。
当山には開創600年におよぶ長い歴史の側面を物語る著名な方々のお墓が現存しております。
~中略~
無量山 傳通院
参考Webサイト
傳通院・伝通院
於大の方の墓(家康公生母の墓)
撮影:2018-01-08
所在地
東京都文京区小石川3-14-6
案内板 (文京区教育委員会案内板)
於大の墓 (区指定史跡)
享禄元年―慶長7年(1528―1602) 徳川家康の生母、三河(愛知県)刈屋の城主・水野忠政の娘、天文10年(1541)岡崎城主・松平忠広と結婚、翌年に家康を生む。
後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とするわが子家康を慰め、音信を断たなかったという。
法名、伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼にちなみ、この寺の通り名を「伝通院」とした。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月
参考Webサイト
傳通院・伝通院
千姫の墓(2代将軍秀忠公長女の墓)
撮影:2018-01-08
所在地
東京都文京区小石川3-14-6
案内板 (文京区教育委員会案内板)
千姫の墓 (区指定史跡)
慶長2年―寛文6年(1597―1666) 2代将軍秀忠の娘 慶長8年(1603) 幼少の身で豊臣秀頼に嫁し、大坂城にはいる。
元和元年(1615) 城を出て翌年桑名城主・本多忠政の子、忠刻と再婚するも死別とともに天樹院と号して江戸に帰り竹橋に住む。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月
参考Webサイト
傳通院・伝通院
孝子の墓(3代将軍家光公正室の墓)
撮影:2018-01-08
所在地
東京都文京区小石川3-14-6
案内板 (文京区教育委員会案内板)
孝子の墓 (区指定史跡)
慶長7年―延宝2年(1602―1674)、孝子は3代将軍徳川家光の正室、前関白鷹司信房の娘、元和9年(1623) 京都から江戸に下り 江戸城西の丸に入る。
寛永2年(1625) 家光と結婚するが、公家出身で武家の生活になじめないまま73歳で没す。
東京都文京区教育委員会 平成2年3月
参考Webサイト
傳通院・伝通院