新設:2019-04-29
更新:2022-11-13
由緒と文化財
撮影:2019-04-16
山門
本堂
本堂正面左右扉に彫られた「三つ葉葵の紋」
熊野堂(寛政8年(1796)建立)
浄土蔵(上土蔵)(文化8年(1811)建立)
名 称
浄土宗 妙定院(みょうじょういん)
増上寺の別院ゆえ 山号は三縁山 寺号は増上寺
所在地
東京都港区芝公園4-9-8
(赤羽橋交差点に近く 首都高速と都道319号の間)
開 創
宝暦13年(1763)
開 基
徳川9代将軍家重公
開 山
妙誉定月(じょうげつ)大僧正(増上寺46世)
本 尊
阿弥陀如来
案内板
妙定院(みょうじょういん)は、徳川9代将軍家重(いえしげ)公の大導師を勤めた、増上寺46世妙誉定月(じょうげつ)大僧正によって、家重公菩提のため「御中陰の尊牌」を安置して、宝暦13年(1763)、幽水閑雅だったこの地に開創された。増上寺の別院として位置づけられ、明藏(一切経)を有し仏典研究の中心的存在でもあり、のち浄土宗の准檀林の寺格を持つ、念仏道場・学問研究の名刹として知られてきた。
法然上人御直作で熊谷直実の念持仏と伝える法然上人像をまつり、「円光大師(法然上人)東都25霊場」の第1番とされた。
また10代将軍家治(いえはる)公の尊牌も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。『法然上人伝絵詞』など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」「上土蔵」の2建造物は、国の登録有形文化財となっている。
元伯爵・萬里小路家、明治の殖産興業の先覚者・前田正名翁などの墓所がある。
案内標柱 (港区教育委員会案内標柱)
港区指定有形文化財 彫刻
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
本像はいわゆる善光寺式三尊にあたる三尊一具像の遺例です。その祖形は信濃善光寺の根本仏として伝えられる像にあるとされ、欽明天皇13年(551)に百済からもたらされた長さ1尺5寸の阿弥陀如来と同一尺の観音・勢至菩薩で、金で鋳造された霊験像であるといいます。今日、善光寺本尊は秘仏ですが、これを模刻して崇める記録は平安時代後期からみられ、鎌倉時代からのち模像の遺例はにわかに増えて各地に及び、その間細部の形式に異同も生じています。
本像の像高は中尊が41.4㎝、左脇侍30.7㎝、右脇侍30.3㎝で通例の法量を示しています。三尊とも銅鋳し鍍金を施しています。
中尊は細面の長身に作られ、著しい伏目の面相は親しみやすく、江戸時代前期頃の作風を表しているのに比べ、両脇侍は肩を張った体躯と丸みのある頭部が形姿を整えており、制作年代は両脇侍がやや先行するものと思われます。このように本三尊像は一具同作とは認めがたいものですが、善光寺式三尊像の遺制をよく伝えた作例として、また三尊が均衡を得た構成を示している作例としても貴重です。
昭和61年10月20日指定
港区教育委員会
案内標柱 (港区教育委員会案内標柱)
港区指定有形文化財 絵画
琴棋書画(きんきしょが)図屏風 狩野探雪筆
古来、中国では、琴、棋、書、画の4芸を士大夫・教養人の嗜みとして尊重しました。わが国でも、ことに漢詩文学に傾倒し、隠逸を愛した五山僧の間にこれを習おうとするところが多く、絵画に表されたのは少なくとも室町時代初期まで遡ることがことができます。以後、公武の愛好も得て、琴棋書画図は唐人物を描く際の格好の画題として、江戸時代に至るまで長く制作され続けました。
筆者の狩野探雪(1655~1714)は、幕府御用絵師として活躍した狩野探幽(1602~74)の2男です。父探幽は、探信、探雪の2子を深く愛したため、兄探信が鍛冶橋狩野家の家督を継ぐにあたっては、その所領を両分し、別に一家を立てたと言います。探雪も幕府の絵師として多くの仕事を行い、天和2年(1682)及び宝永6年(1709)の2度にわたって、来日中の李氏朝鮮使節に贈る屏風を制作しています。本図は、父探幽の画風を忠実に祖述したもので、いかにも御用絵師らしい筆による謹厳な画面が作り上げられています。江戸初期における武家好みのアカデミックな狩野派様式を知るための貴重な作品です
昭和61年10月20日指定
港区教育委員会
参考Webサイト
妙定院 公式サイト