新設:2018-07-01
更新:2022-11-14
縁起・沿革
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県越谷市相模町6-422
案内板 (埼玉県・越谷市案内板)
大相模不動尊大聖寺(おおさがみふどうそんだいしょうじ)
大聖寺は、真言宗豊山派の寺で、山号を真大山といい、本尊は不動明王である。
寺伝によると、天平勝宝2年(750)に不動坊が、奈良東大寺の開山で知られる良弁(ろうべん)僧正自作の不動明王像を祀って造立した一宇が、開基とされている。中世には不動院と称し、岩槻城主太田資正や北条氏繁の尊信を受けて栄え、天正19年(1591)に当寺に泊った徳川家康から寺領60石を賜り、このとき現寺名である大聖寺に改めたといわれる。また、慶長5(1600)には、家康が下野小山(栃木県小山市)から引き返して関ヶ原へ向う途中、戦勝を祈願して太刀一振を寄進したことが寺伝にみられる。
境内入口の山門は、文化元年(1804)に再建されたもので、明治28年の火災の際焼け残った唯一の建造物である。なお、山門に掲げられてある「真大山」の山額は、寛政(1789~1801)の改革で名高い老中松平定信(白川楽翁)の筆といわれている。
このほか、寺宝として、元亀3年(1572)に北条氏繁が岩槻城の繁栄祈願を命じた文書や、家康が宿泊の際に使用したという寝具などが残されている。
昭和60年3月
埼玉県・越谷市
補足
大聖寺の案内書から引用で、補足説明を次のとおりします。
慶長5(1600)に、家康が下野小山(栃木県小山市)から引き返して関ヶ原へ向う途中、戦勝を祈願して寄進を受けた大聖寺の住職定伝は、その刀を護摩壇に立て、戦勝祈願のための祈祷を修し、この刀が西へ倒れれば西軍(石田方)の敗け、東に倒れれば東軍(徳川方)の敗けと心に念じたところ、その刀は西に倒れ、祈祷のとおり関ヶ原の合戦は、徳川家康が勝利したと、伝えられている。
参考Webサイトなど
大相模不動尊 真大山大聖寺 案内書
大聖寺 徳川家康公の足跡をたどるサイト
山門
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県越谷市相模町6-422
案内板 (越谷市教育委員会案内板)
越谷市指定 有形文化財 建造物
大聖寺の山門 昭和42年1月11日指定
「大相模の不動様」で親しまれている真大山大聖寺は、天平勝宝2年(750)の創建といわれ、本尊は不動明王である。
古くは「不動坊」といわれ、天正19年(1591) 徳川家康公遊猟の折、当寺に立寄り水田60石を与えて「大聖寺」と号した。
山門は、正徳5年(1715)に建立した茅葺き屋根であったが、文化元年(1804) 瓦葺きとなり、その後破損、明治17年修繕して銅板葺が完成し、今日に至っている。
この山門は、鎌倉風建築といわれ、正面左右には「阿吽(呍)の二王」といわれる1対の仁王尊がある。正面額字「真大山」は寛政時代の老中松平定信の筆である。
平成14年3月
越谷市教育委員会
参考Webサイト
越谷市指定 有形文化財・建造物 大聖寺の山門 越谷市役所サイト
徳川家康の夜具
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県越谷市相模町6-422
案内板 (越谷市教育委員会案内板)
越谷市指定 有形文化財 歴史資料
徳川家康の夜具 昭和58年3月31日指定
天正18年(1590) 関東に入国した徳川家康は、領国統治のため、鷹狩りをしながら巡遊した。
はじめ、家康の休泊所は、在地の土豪層や寺社がこれにあてられたが、のちに御殿やお茶屋が取立てられていった。
大聖寺の家康垢付の寝衣は、まだ御殿やお茶屋が設置される以前、家康が大聖寺に宿泊したとき、その宿泊接待の御礼として置いていったものとみられる。
この寝衣は絹地で、菊を配した柄のほか徳川の紋である三ツ葉葵が所々に配されている。
平成14年3月
越谷市教育委員会
補足
徳川家康の夜具(寝衣)の写真は、次の[参考Webサイト]に掲げるサイトでみることが出来ます
参考Webサイト
大聖寺 徳川家康公の足跡をたどるサイト
タブノキ
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県越谷市相模町6-422
案内板 (越谷市教育委員会・大聖寺 案内板)
越谷市指定 天然記念物
大聖寺のタブノキ 昭和58年3月31日指定
大聖寺境内のタブノキの樹齢は、およそ500年と推定される。幹周りは4メートル、樹高およそ8メートルのところで枝分かれし、東西に8.6メートル、南北に9メートルの枝を張っている。
なお、幹の南側に幅70センチ、高さ82センチの枯損部があり、幹の中は空洞になっているが樹勢は旺盛である。
タブノキは、古くは 魂の宿る木「タマ(霊)の木」から転化したという説があり、クスとならんで各地に巨木が存在し、御神木となっている場合が多い。
万葉集の大伴家持の歌
「磯の上の都万麻を見れば根を延へて年深からし神さびにけり」
の都万麻(ツママまたはトママ)はタブのことだといわれている。
平成14年3月
越谷市教育委員会・大聖寺
東門・鐘楼・弁天池
撮影:2018-03-31