新設:2018-07-01
更新:2022-11-13
縁起・沿革
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
案内板 (埼玉県教育委員会・川越市教育委員会 案内板)
重要文化財 建造物
仙波東照宮
徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後、遺骸を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に4日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月、この地に創建した。
その後、寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月起工、同17年完成した。当初から独立した社格をもたず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光・久能山の東照宮とともに3大東照宮といわれている。
社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯籠がある。なお、拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の36歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した12聡の鷹絵額がある。
埼玉県教育委員会
川越市教育委員会
参考Webサイト
仙波東照宮 仙波東照宮サイト
随身門・石鳥居
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
案内板 (川越市教育委員会案内板)
重要文化財 建造物
東照宮随身門・石鳥居
境内入口にある随身門は、朱塗八脚門・切妻造で、とち葺形銅板葺である。
八脚門とは、3間×2間の門で、門柱4本の前後に各1本ずつの控柱をもっている屋根つき門のことである。
以前には、後水尾天皇の御染筆なる「東照大権現」の額が掲げられていた。記録によると、この勅額は寛永10年(1633)12月24日とあるから、東照宮の創始の時期を知るひとつの資料となっている。
石鳥居は、寛永15年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前、寛永十五年九月十七日堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。
川越市教育委員会
男坂・女坂
撮影:2018-03-31
拝殿・唐門・本殿
撮影:2018-03-31
所在地
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
案内板 (埼玉県教育委員会・川越市教育委員会 案内板)
重要文化財 建造物
東照宮拝殿・幣殿
拝殿は、桁行3間(5.36m)、梁間(3.64m)で、単層入母屋造、正面は向拝1間(1.82m) あって銅板本葺である。
幣殿は、桁行2間、梁間1間で、背面は入母屋造り、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。
内部も朱塗で美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照大権現の勅額が懸けてある。記録によると、寛永10年(1633)12月24日とあって、東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。
川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修理があったと伝えているが、松平大和守の弘化4年(1847)にも修復が行われたという。
平成3年3月
埼玉県教育委員会
川越市教育委員会